マイクロエースの東武20000系を走らせました。
1990年頃の東武伊勢崎線のイメージして、マイクロの東武20000系を走らせました。以下、画像を紹介していきます。
まずは1枚目。
下り「りょうもう」と並走する20000系の東武動物公園行き。
緩行線を行く下り普通電車と急行線を行く下り優等列車の並走ですが、90年頃の昼間のダイヤではだいたい谷塚~草加間で見られました。
こちらは普通列車と準急の並走。
20000系が東武動物公園行きの普通電車、8000系は4+2連の準急「東武宇都宮」行きのイメージです。90年頃の日中ダイヤでは、下り普通電車と準急は西新井付近で並走することが多かったです。(なお、8000系ですが、前2両は新栃木止まり、側面の方向幕などありません。今の水準で考えると信じられませんが、当時はこれが普通でした。)
次は、鉄コレ東武2000系とのすれ違い。
1990年頃の伊勢崎線は、優等列車・地上用通勤型・地下鉄直通車ともに新旧車両の入れ替わる時期で、見ごたえがありました。
こちらは営団03系との並び。
当時の伊勢崎線では、営団車も3000系と03系が入れ替わる時期でした。
こちらは10030系の上り準急とのすれ違い。
どちらも銀色の車体がいいですね。
20000系と6050系の並走。
90年当時は6050系のWパンタ車はありませんが、雰囲気重視で。
中目黒行きの20000系と下り貨物列車のすれ違い。
貨物列車ですが、伊勢崎線の複々線区間では内側の緩行線を走っていました。
なお、貨車は日立セメントのホキ5700+タキ12200を混成した、我が家でもこだわりの編成です。
当時の緩行線ですが、地下鉄直通6本に加え、浅草発着が2本ありました。
日比谷線直通の20000系と浅草発北春日部行きの8000系のすれ違い。
そして最後に。
下り急行線を行くDRC、上り急行線を行く5700系と上り緩行線を行く20000系。20000系デビュ-以来、1991年までの数年間だけ見られた光景です。
マイクロエースの東武20000系、本当に25年近くに渡って欲しいと思っていた製品でした。20000系があるだけで伊勢崎線らしさが一気に増しました。東武20000系、これからも楽しんでいきます。